可哀相な保護者,哀しき教師たち

学力向上には学校より塾 内閣府が保護者に調査

元々家庭は学校に学力向上を求めていないのではなかろうか。なぜなら,家庭で教えるべきしつけに始まり,様々な“これまで家庭や地域でするべきであったこと”を学校に押しつけているからだ。1日8時間・週5日あっても教師は親代わりであり教えるものであり導くものであり,時間がいくらあっても足りないだろうと思う。
最初の文章は暴論といってもいいかもしれないが,しかし本質の部分では正しいのではないだろうか。元々教育=学力向上ではなく,教育>学力向上なのだから,学力向上についてはそれに特化した学習塾に劣っても仕方ない,というか勝るのであれば学習塾など金の無駄でしかない。元々そういう構造なのだから,このアンケートは正しい。
学校で“学ぶ”ことと“勉強して賢くなる”ことはイコールではない。極端な話,勉強で賢くなることに学校が重点を置いた場合,集団行動,情操教育,常識教育なんかはだれがやるのだろう。“きちんとした”保護者がいる家庭は問題ないが,まともに食事も与えられないような家庭なんかではまず無理だろう。学校なんて言うのは色々な事情を抱えた子どもが集まってくるわけで,まともな保護者を持った子どもたちだけが集まるものではない。それをわからない人が多いのだから,学校と言うところは大変,というか教師という仕事をまじめにやっている人は大変だろうなあと思う。

学習塾にしても家庭教師にしてもお金がかかるもの,先にも述べたとおりその機会をもてない児童・生徒もいるわけで,彼らのためにも一定水準の教育は学校で保証すべきだが,勉強するなら塾,学校は何やってんのという可哀相な保護者に毅然とした態度を示してねばり強く導きを与えることがこれからの学校・教師のつとめの一つになるかも知らない,と考えると同情を禁じ得ないなあ。